ででの日記

好きな話は何度したっていいもんね

舞台「管理人 THE CARETAKER」11/19マチネ公演を観劇しました

舞台「管理人 THE CARETAKER」11/19マチネ公演を観劇しました。

とってもよい時間だった……。こういう舞台好きです。

もくじです

 

舞台セット

まず、舞台セットがとても素敵。ああいう細かい造りのセット大好きです。ドアや窓が重厚な音を伴って開け締めできるタイプ。壁や床の造りも本当の部屋と遜色なく、部屋全体のサイズ感も小物のサイズ感も舞台用ではなく日常のままで、本当に部屋の一室をポコンと切り出してきたようでとても好きでした。壁の角度?が屋根裏部屋を彷彿とさせるのも好きでした。(屋根裏部屋とは言われてなかったよね?)

舞台の奥行きが狭いのも心地よい圧迫感があって好きでした。

実寸台の部屋に立つ3人は、等身大の人間でした。

紀伊國屋ホールという小さい劇場で上演される意味が少しわかったような気がしました。

 

舞台セットや小物で好きだったところ

  • 雨漏りのバケツがまさかの天井からぶら下がってる
  • なぜか買い物のカートがあるところ(片付ける時うるさくて最高だった)
  • 仏像!(戯曲読んだ時「なぜ急に」と思ってたけど観劇したら大事なアイテムだった!突然仏像が出てくるの想像よりもおもしろかった
  • 裸電球(オレンジの光があたたかい)

 

各登場人物の印象

デーヴィス

戯曲を読んだ時はどうしようもない言い訳ばかりの、自分のことばかりのお爺ちゃんだと思っていました。実際に観劇してもそうではあったけど話し方がとても楽しそうというか「こういうお爺ちゃん、いるいる!」って感じで…それ以上の語彙はないんだけど、とてもチャーミングで可愛がりたくなってしまうお爺ちゃんでした。

デーヴィスの話は嘘か本当か分からない、幻想や理想が多かった気がします。同じ話を何度もするところにも幻想的な印象を受けました。

戯曲を読んだ時に「なぜこんなに同じ話を何回もするんだ」と思ったけど、イッセーさんの「あ~思い出した」「そうだそうだ~」って雰囲気の演技があまりにも自然で何も気にならなかったです。あるよね~そういうこと~ってなった。

 

アストン

話し方が頼りなさそうで、内容もちょっとぼんやりしているアストン。でも服装はいちばんカッチリしているのが人物像とちぐはぐで、ちょっと不思議でした。

戯曲を読んだ時になぜアストンがこんなにもデーヴィスに優しいのか分からなかったけど、観劇してみて「デーヴィスに手を差し伸べることで生きる意味を見出している」のかなと感じました。デーヴィスを掬うためのように見えて、自分を掬うために必死にあの部屋にデーヴィスを繋ぎ止めていたように感じます。

アストンが過去を語るシーン、話していけばいくほど言葉が詰まっていって、頭に霧がかかっている様子が観ていて苦しかった。

アストンは物事の事実よりも感情や考えを話す事が多かった気がします。

 

ミック

声がよく通る、全体的に強いミック。戯曲を読んだ時、すごく怖くて常にイライラしている印象だったのですが……。こんなにおもしろい人だとは!

戯曲を読んで私が「怒り」と読み取った言葉の7割くらいが「煽り」だった。あんなコミカルで豊かな表情が乗るとは思っていませんでした。最高すぎる。デーヴィスに放った「で?」とかね。

そしてミックがこんなに可愛い&コミカルだと思っていなくて良い意味で裏切られてしまった。ずるい。でも怖いところはきちんと怖かった。

ミックは物事の事実をバーっとまくし立てていて、頭が切れるが故の長台詞だなと思いました。

 

人間が人間している舞台尊い

全員声と滑舌が良くて超絶長台詞でも全部聞き取れてすごかった。なにより、人間がただ人間しているところを観られたのがとても心地よかったです。

一行目に「全部聞き取れた」と書いたけどそれは嘘で、デーヴィスの最初の方のセリフは聞き取れなかったです。聞き取れなかったけど、観劇中に「あ、これはアストンも聞き取れていないだろうな、そういうモノだろうからまあいっか」と勝手に納得してしまいました。おそらく聞き取れていないであろうアストンも、聞き取れていない上でテキトーにやり過ごしているんだなと感じました。あの空間で観るからこそ、等身大の人間を観ているからこそ、登場人物と同じ目線で会話を聴く事ができるのかなと思いました。

「〇〇さんが演じる△△」ではなく「デーヴィス」「アストン」「ミック」とキャラクターをひとりの人間として違和感なく観られることが尊くて豊かで幸せなことだなぁと改めて感じられた舞台でした。

 

その他感想

あんなにみんなよく喋るのに、無音でやり取りする瞬間があるのが意外だった。取っ組み合いしてるときとか。それが本の中で「(間)」と表現されていた部分だったのかな?

 

各キャラクター、もっとダウナーな感じだと思っていたけど思いの外コミカルだった。会話自体は成り立っていない事があるけど、人との関わりを楽しんで生きている人たちの物語だなと思った

 

戯曲を読んだだけでは想像できていなかった箇所が沢山あったんだ、と観劇してはじめて気づいた。「演じるために描かれたもの」ではなく「実在した3人の日常を覗き見て文字に書き起こしたもの」だったんじゃないかと錯覚してしまうくらい、板の上で繰り広げられる演劇が等身大の人間だった。

 

その他好きなシーン

手の中で何かをいじらずにはいられないアストン。「手を使って仕事をする」ことにこだわるアストン……。ちょっと寂しそうで切ない…。直接的な会話はほぼなかったけど、そんなアストンを大事に思っているであろうミック…。

 

ミックが初めてデーヴィスと対面するシーン。だるまさんが転んだしてて可愛かった。冷静に考えてデーヴィスめっちゃ不審者。

 

誰も見てないときにケトルから水を直飲みするデーヴィス

 

カバンのドッジボール!全力すぎておもろい。ミックの最後のノールック投球とナイスキャッチなデーヴィス、お見事でした。しかもデーヴィスのカバンじゃないんかいっていうね。

 

タバコとかマッチとか靴のホコリとか、本当に火や煙が出ているのが好きでした。リアル…。

そういえばミックがデーヴィスの前でマッチ箱をチャカチャカやってた時、ぽろっと床に落ちていたけど、あれはハプニングだったのかな。

 

戯曲を読んだ時「春の大掃除」というセリフを見て「パン祭りじゃん」と思ったのですが、そこが思いのほか決め台詞っぽくて面白かったです。

暗がりでマッチ箱チャカチャカやってデーヴィスをからかってるのも可愛いし、全力で掃除機かけてるのも可愛いミック。そんなにいたずらっ子だとは、読んだときは想像できなかった。ずるいぞミック。

 

不条理劇っておもしろい

「不条理劇」という言葉を見た時、観劇後に嫌な気分になるものだと想像していました。救いようがなくどうしようもない状況にイライラいて苦しくなって、重苦しい気持ちを抱えて劇場から出るものだと思ってた。

管理人の戯曲を読んだ時、会話の成り立たなさや各キャラクターの置かれた状況から、キャラクターの怒りや憎しみや悲しみが色濃く表現される舞台なんだと想像しました。

でも、実際に観劇したら、人間のおかしみやおもしろみが感じられるシーンばかりで、観劇前に抱えていたイメージが全部ひっくり返りました。

その言葉はそういうニュアンスだったのか…!とか、その表情なのか…!とか、そんな軽い感じだったのか…!とか、驚きの連続でした。活字に血が通ってセリフとして身体から発せられるとこんなに印象が違うんだ~と観劇中ずっと楽しかったです。

 

3人の会話はすれ違っている時もあれば噛み合っているときもあって不思議な気持ちになりました。そしてあの3人が小さな部屋で話している光景にあたたかみを感じました。それは裸電球の光がオレンジだったからかもしれないけど……。

なぜあたたかみを感じたのかな~と考えたところ、あの3人の「お互いがお互いに程よく興味を持っていない」ところとか「相手の言葉をなんとなく聞いてるしなんとなく聞いてない」ところが家族の会話に似ているからかなと思いました。

これは我が家だけかもしれませんが、リビングに集まった時に「誰かが話して、誰かが相槌を打つ。でも全然聞いてないから『どう思う?』と最後に問われて誰も答えられなくて同じ話がもう一度始まる」とか「誰も興味がないであろうことを喋っても誰も咎めない、その場に居て聞いてくれる、でも内容は聞いてもらえない」とか、そんな会話ばかりです。

デーヴィスとアストンとミックの会話は、噛み合っているようで噛み合っていない。でも、相手が知らない話をしてもされても途中で遮ることはほとんどない。3人がお互いに興味がないから成立している気がするし、お互いを許しているから成立している気もする。何年もあの部屋で一緒に過ごしてきたような関係だなと思いました。

 

わからないところや、どういう意味?と思うところは何箇所もありました。

でも、よく考えれば私達が日常的にしている会話のうち何割に「意味」があるんだろう。特に目的もなくだらだらと会話を続けていることのほうが圧倒的に多い気がします。会話に「意味」なんてないし、ストーリーもドラマもない。

管理人の3人のシチュエーションは現実にはなかなか起こり得ないだろうけど、コミュニケーションの取り方は、親しみのあるただの日常の切り取りにすぎないのかなと思いました。3人とも、あの部屋でただ会話をしていた。それをただ観客が覗いていただけ。それだけな気がします。ただの日常にクスッと笑えるこの心の余裕、大事にしていきたいなと思いました。次の観劇では3人の心の機微も追いたいです。

 

しかしこの3人にはクスッと笑ってくれる観客が居るけれど、私たちの日常にクスッと笑ってくれる人はそうそう居ません。

ハロルド・ピンターが描いた「管理人」の世界より、私たちの日常のほうがよっぽど救いようのない不条理な世界なのではと思いました。

 

おわり